Les miserables 2012年映画
数年ぶりにレミゼラブルを観た。
公開から早5年。当時はすぐに劇場で見て、しばらく席を立てないほどの心の疲労を味わった。あんなにも素晴らしい作品の公開からもう5年もたっていたのかと思うと、時の流れは一瞬だ。この5年が一つの季節に思える、短い秋みたいに。
フランス革命の時代背景は高校時代の世界史に齧っただけで、全く知識は持ち合わせていない。何かの映画を見るたびにその事件の事を、僅かながらにでも持ち合わせておきたいと思い勉強はするけれども自分が生きていない過去の歴史、長い時間、残虐な出来事は理解しがたいのが事実だ。
レミゼラブル、この作品は痛みがたくさん詰まっている。
題名通りの痛ましい叫びが込められた、場面によっては目を背けたくなる映像がたくさんある中でそれを歌で緩和し私たち視聴者に届けやすく、時々は愛を伝えてくれる。第一に始まる囚人の労働はリズムに乗せ泥臭く描かれているけれど、他人の人生を粗末にしている場面でもある。本来ならば直視できぬものを、しっかりと受け止めることが出来るようにこの映画は仕上がっている。
以前にフランス版の別のものを鑑賞した事があるのだけれど、全体的に映像が薄暗く出演者が徹底的に幸福を消し去っていた。あの映画の中に、ラストでさえも一瞬たりとも燦爛たる輝きは無かった。それくらい、あの時代に生きた人たちは不幸こそが巡り合わせだったように題名通りの人生を忠実に描いていた。創作とはいえども作者であるヴィクトル・ユーゴーが駆け抜けた時代だ。六月暴動を目の当たりにした彼が書いたものは、現代の作家が書くフィクションよりリアリティに溢れていて説得力がある。
2012年版のは絶賛の声がたくさんなのも納得がいく、映画らしい映画である。
劇中で纏わりつく貧困、間違った正義に振り回される者、愛に奔走される苦しみ。
作品の中に、人生のなかに幸せはあったのかと問いたくなってしまう登場人物が多い。
挿入歌 At the end of the day の主役たちである市民。泥にまみれ一切れのパンで一日を食つなぐ。悲惨としか形容できないような人生が溢れかえっていた。何時の時代も、誰しもが自分の生活に優越感を与えるために惨めな相手を見つけては比べ、自尊心を保っている。しかし、そのマウンティングすらも出来る気配がない。生まれながらにして命は劣悪だったのだ。平等なんてものは無く、救いも無く、死に向かって生きていくだけの毎日。
粗末に扱われることを定められているかのように。神のご加護を求め続けるためだけに生きているよう。当時の市民よ、あの映像通りであるならば彼らに幸せは本当に無かったのではないだろうか。歴史上、残酷な出来事は多く知っている。惨めさを、痛ましさを比べるものでないのだろうが、様々なとこらから悲痛の声が上がっているのがわかる。
それを抑制しているのが法の奴隷なのか。人間の慈悲だけでは救われない、複雑に絡み合った秩序に一度とらわれたら地獄まで引きずられる。小さな罪で、大切な命を踏みにじってしまう法体系も、過去に多くの歴史が犯した情けない過ちだ。時に法は防御の役目を果たさずに人を貪る。悲しい事に、この物語の中に犠牲者が多くいる。
毎度思うことは、母親であるファンティーヌの苦しみを、男性には理解できないものだろうか。母であり、女であり、女性でいるという事が難しい世界がこの世に所々存在する。この映画の時代も象徴的だろう。自分の分身である我が子を守る、たったこれだけの事が困難になってしまう、世間が女を、子供を、家族を殺す。子供のために必死の生き抜く姿を演じたアンハサウェイが儚げで、本当に今にも消えてしましそうな朝霧のような薄さだった。
I dream of dream が流れるシーンは脳裏に焼き付き、様々な感情を思い起こさせてくれる。
一言で、素敵としか言いようがない。あのやり切った、出し切った苦しみを、出来る限り画面を通して受け止めたい。
愛されたコゼット、叶わない恋を抱くエポニーヌ。
自身の姿が後者に重なり、胸に響く場面と歌がたくさんある。
若者たちの願いにより結成された義勇団ではあるものの、エポニーヌは革命では無くマリウスを思って死を選んだように思える。彼女にとっては国よりも革命よりも、愛する人のそばにいたい、その気持ちが何よりも強かったはずだ。振り向かれないながらも思いを募らせ、彼の隣で最期を迎えた彼女。彼女から感じられる意志の強さは、物語の中で悲しくも花々しい。個人的にはもっと思いやって欲しい人物でした。
悪か正義を問われると、多くの人に計り知れない疑問を投げかける。ジャベールが自ら死を選んだ訳は、自分の犯した罪に耐え切れずにいたからであり、怒りの沸騰が自身に向かったからだ。尋常である限りは彼と同じ気持ちを抱くし、前半においては法の下に居る人間の洗脳の表しであることは理解できるだろう。最後は彼も愛を抱いた。憎しみにまみれ、任務を遂行する情熱に身を奉げていた彼が自身の革命を行ったのだ。死を選んだシーンは言葉と呼吸を忘れさせるほどの危うげな彼の魂が伝わる。
全員が主人公ともいえるこの物語、悲痛は比べられず抱いた愛も目に見えない。
愛されたコゼットも、人生の序盤は灰を被っていたのだから。
多くの痛みを感じやすく、魂を揺さぶる歌と共に物語を教えてくれる。
この先、何度か再び見るときが来るだろう。
自身の痛みを彼らと重ねたい時に、涙を流したい時に。